カンボジアニュースJPKH

世界遺産のアンコールワットをはじめとした観光情報はもちろん、カンボジアの社会・スポーツ・政治・経済・環境などをジャンル別でお届けします。

カンボジアの歴史

      2013/07/22

■カンボジア王朝~フランスによる植民地時代

カンボジアと聞いてすぐにイメージされるのが世界遺産のアンコールワットではないでしょうか。これが建設されたのはクメール王朝9世紀から15世紀(=アンコール王朝)の時代、12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やしました。

他国に与える文化的な影響力を強く、その当時にシエムリアップに築かれたのがアンコールワットを含むアンコール遺跡群です。その後、力をつけたシャム(現在のタイ)にシエムリアップをのっとられベトナムによる併合で国家の消滅を危惧した当時のアンドゥオン王がインドシナ半島の植民地化をすすめていたフランスに近づいて保護を求めようとしましたが、タイに気づかれてあえなく失敗。その後、アンコール王朝の衰退にともなってタイやベトナムから侵略されます。

アンドゥオン王が退き次のノロドム王の時代にフランスとの保護条約を結ぶと、奴隷解放をはじめとする近代化政策を進めました。その象徴的建造物が現存する王宮とシルバー・パゴダ(※1)です。しかし、1884年にフランスの植民地化で国家主権を失います。

フランスから独立したのが1953年、最初に国をおさめたのがカンボジア王国です。独立後、激動の時代が幕をあけます。ベトナム戦争があり、アメリカから空爆を受けるなどの甚大な被害を受け、ポル・ポト派となるクメール・ルージュも誕生しました。

■独立~内戦 暗黒のポル・ポト政権時代

フランスから独立を果たしたシハヌーク王が退位した後、王制社会主義に基づく国政指導で発展を遂げました。ところが1970年、シハヌーク元王が外遊中に国防省ロン・ノルがクーデターを起こして王政を廃止。中立政策から親米路線への転換により、当時隣国で起こっていたベトナム戦争にも巻き込まれていきます。

シハヌーク元王がロン・ノルを倒すために手を組んだのが、ポル・ポト率いるクメール・ルージュだったのです。1972年1月、アメリカはロン・ノル政権支援のために南ベトナム派遣軍の一部をカンボジアへ侵攻させ、この内戦に直接介入しました。これによってベトナム戦争はインドシナ戦争に拡大。ロン・ノルは同年10月に軍事独裁体制を宣言、翌1972年3月に大統領に独裁的権力をもたせた新憲法を公布しました。

中華人民共和国からの密接な支援を受けたクメール・ルージュは戦闘を続け、1973年にアメリカ軍がベトナムから撤退すると後見を失ったロン・ノル政権は崩壊に向かいます。そして1975年4月、ロン・ノルは国外へ亡命、隣国ベトナムでは南ベトナムのサイゴンが陥落し、北ベトナムが勝利をおさめてベトナム戦争が終結しました。この13日前にはクメール・ルージュが首都プノンペンを陥落させており、1976年1月にカンボジア民主国憲法を公布し、国名を民主カンプチアに改称しました。

クメール・ルージュによるカンボジア人の大虐殺が始まります。

共産主義勢力のクメール・ルージュの政策は極端極まりないです。全都市市民を農村へと移動させ、一切の従来型教育、価値観を否定しました。地方での農業のみが正しい生産活動とし、医者や教師などの知識人を虐殺しました。家族を解体し、集団共同体での過酷な作業を強制し、従わない者をあぶりだす密告型社会へと変わっていきます。

1978年のベトナムによる軍事侵攻でポル・ポト政権が崩壊するまで、全国民の3分の1が命を落としたとされています。虐殺によるものもあれば、過酷な労働によるものなど原因はさまざまです。200万人ほどが虐殺の被害者とされており、その処刑跡がキリング・フィールドと呼ばれ、いまでは観光スポットとなっています。

■ポル・ポト政権崩壊~カンボジア王国樹立

クメール・ルージュへの反感は極限まで高まっていました。そして、崩壊の日がやってきます。ポル・ポト派から逃れていて有力者とベトナム軍とともに侵攻し、クメール・ルージュに勝利。ポル・ポトがプノンペンを放棄した後、1979年にカンボジア人民革命党を再建し、1979年1月10日にヘン・サムリンを元首とするカンプチア人民共和国を成立しました。

その後、ベトナム軍の撤退とともにカンボジア国へと改称し、1991年には正式に内戦の集結にいたりました。この日以降、公正で自由な選挙による議会選出、その議会による憲法制定、政府設立を目指すまでの間の統治を国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が治めました。

1993年、パリ和平協定にもとづく国連監視の元ではありましたが、総選挙を実施。シハヌーク王が再即位し、新生カンボジア王国を樹立。完全に独立した民主的な国家としての第一歩となりました。

1998年、フン・セン首相が推進したWin-Win政策によってクメール・ルージュが完全に解体され、王国政府が全ての領土を統治する環境が整いました。

1993年以降は公正な選挙の実施および民意を反映した政府がカンボジア国を治めつづけており、非常に安定した政治となっています。内戦による被害が想像を絶するほど甚大であったため、なかなか経済復興できていませんが、海外企業を積極的に誘致し、税制優遇措置をとるなど、確実に経済復興の土台を築いてきました。

カンボジアは憲法で永世中立と非同盟の立場を明らかにしています。他国への内政干渉や侵略を行わず、近隣諸国と平和的に共存する方針です。

 - カンボジアの概要